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2011年09月09日

バンコク

9月7日

ストリートチルドレンについて深く考えさせられたデリー。死に対する価値観が変わったヴァラナシ。白銀の輝きを放つタージ・マハールはまさに絶景だったアーグラ。そして街全体がピンク一色だったジャイプール。様々なものに触れ、数知れないものを学べたインドを後に、私たちは次ぎなる国「タイ」へと飛び立った。

現地時間午前7時15分、タイの首都バンコクの空港に降り立つ。

ホテルまでは鉄道を利用して移動。
バンコクの鉄道は開通してまだ日が浅いためか、驚くほど奇麗だ。

車窓から見渡すバンコクの街並は、私が想像していたタイのイメージとはかけ離れていた。数々の高層ビルや巨大なショッピングモールなど、東京で目にする風景とさして変わりはなかった。しかし、時折顔を出すタイの寺院が加わると一気に雰囲気が変わり、とても興味深かった。

チェックインまでしばらく時間があり、旅の終盤で疲れもピークを迎えようとしていたため、バンコク初日は夕食まで自由行動となった。

私は数名の友人と共に、旅の疲れを癒すべくタイ古式マッサージを受けに街へと繰り出した。さすがは本場。マッサージ屋がいたるところにあり、しばらく悩んだ後に、私と友人の5人全員同時にマッサージを受けられるマッサージ屋に入った。メニューが豊富だったが、私は垢擦りとオイルマッサージを受けた。初めてマッサージを受けたのだが、想像を超えるものだった。体が軽くなり、疲れも癒えたところで、ホテルに戻りチェックインを済ませた。

しばらく仮眠をとってから、街を散策する事になり、ホテルの近くのショッピングモールや大きいスーパーなどを見て回った。

印象的だったのは歩道橋を中心にいる物乞いだ。両腕がなかったり、目が不自由であったりなど、何かしらの障害をもった人が座り込み、物乞いをしていた。時には子供が、また時には犬に小さいバケツを咥えさせている光景もあった。インドのように近寄ってはこないものの、その光景はどこか痛々しく、衝撃的であった。

インドでは近寄ってくる物乞いには何もあげなかった。近寄ってくる元気があれば特に何かをあげようという気にはならなかったからだ。しかし、タイのように片腕がないなど、なにかハンデを持っている物乞いを目にすると、気持ちが揺らいだ。状況によって物乞いにものをあげたり、あげなかったりすることは良くないと、インドで学んだためその場は何もあげずに通り過ぎた。こうして振り返っている今も物乞いにものをあげるべきなのか、そうでないのか、ハッキリとしたスタンスがとれずにいる。正解はないのかもしれない。だからこそ難しい問題であり、自分なりの答えを出すにはもうしばらく時間が必要だ。

前途したように電車から見たバンコクの街並は東京と大差は無かった。しかし、いざ街を歩き回ると、屋台が所狭しと、並んでいたり、物乞いを目にしたりなど、日本ではなかなか見る事のできない違った光景を目にする事ができる。

夕食後は友人と露店がひしめくように並ぶ通りへと足を運んだ。洋服はもちろんのこと、ムエタイのグッズ、ライターや時計、さらにはアーミーナイフやスタンガンなどといった武器を売っている露店までもが数多く並んでいた。観光客も多く、活気にあふれていた。私は友人と共に有名ブランドをまねた面白いT−シャツを買う事にした。ここでは、インド同様、値段の交渉をする。店側が提示した金額に対し、「もっと買うからこの値段にしてくれ」と計算機に自分の希望金額を打ち相手に見せ値段交渉をする。ここで買い物をする誰もが欲しいものを出来るだけ安く買おうと交渉を重ねていた。私たちも決して例外ではなく、いかに安く買えるかということだけに集中していた。確かに安く欲しいものが手に入る事ほど嬉しい事は無い。しかし、果たしてそれがその商品の本当の価値なのかどうかということはまた違った問題のように思える。安く買えたということだけに満足してしまい、本当の価値というものを見失ってしまっているのかもしれない。

【イベント局1年 菅原駿】
posted by S.A.L. at 20:39 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の夜に

更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。
3日前に書いたブログです。



8月25日に日本を出発してから約2週間過ごしてきたインドもとうとう最終日。
今日は1日ジャイプルでシティパレスやアンベール城などを見てまわり、
インドでの活動をすべて終えました。
インド最後の夜に、私にとって初めてのスタディーツアーを振り返ってみると、
思い出されるのは様々な人との出会いです。

各都市で出会った日本人、各国のバックパッカーたち。
Mobile Creches、アーシャ子ども村の子どもたち、スタッフの方々。
ワークショップを行ったマザーベイビースクールの子どもたち、スタッフの皆さん。
そして、このスタツア中ずっと私たちを困らせ、いらいらさせつつも、
全く違う価値観を見せつけて、私たちを楽しませてくれたここに暮らすインド人たち。

ここインドでは人と人との距離がうっとうしいくらいに近い。
街を歩くたびに話しかけられ、見ず知らずの人と会話をします。
そうしてコミュニケーションをとることで、ひとつひとつの出会いにエピソードが生まれる。
ひとつひとつの出会いが忘れられないものになる。
毎日が出会いの連続で、面倒くさく感じることもあるけれど、
それもスタディーツアーの醍醐味の1つだなと思っています。


さて、この2週間たくさんの人と出会い、お話をする中で、私は2人の人から同じ言葉を聞きました。
1人はデリーのカフェで出会ったインド在住の日本人カメラマンの方。
もう1人はデリーのホテルの前で出会ったフランス人旅行者の方。
その言葉とは、
“Everything is possible.” 
ヒンディー語で言うと、“サブ クチ ミレガ”
インド人もよく言う言葉だそうです。

私に何でもできるかと聞かれれば答えはNoです。
国際協力ということに関して言えば、「自分はまだ学生だから」、「遠い国のことだから」、
私にできることは本当に限られています。
でも、「まだ学生だから」「遠い国のことだから」ということを理由にして、
何も考えない、何もしないというのは絶対に違うと思うのです。

たくさんの制約があるのはじゅうぶん承知。
そのうえで、私は常に“サブ クチ ミレガ”というスタンスで、自分のモチベーチョンは高く、
国際協力について考えていきたい、行動していきたい。
インド最後の夜にたくさんの出会いを思い出しながら、そんなふうに考えています。

【広報局1年 幡鎌理美】
posted by S.A.L. at 13:58 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

笑って

私達、学生団体S.A.Lはこの夏もいくつかのスタディツアーを計画し外国へと旅立った。

9月6日からは、約二週間のヨルダンスタディツアーが始まった。

一般的に、日本人にとって、中東地域のイメージはあまりいいものとは言えない。

「ヨルダンに行ってくる」
周りの友人や家族30人ほどにそう言ってみたが、「ヨルダンってどんな国?」「何が目的なの?」などと聞かれるより真っ先に返ってくる言葉は全て「気をつけてね」
「死なないでね」と、身を案じる言葉だった。

ガイドブック、インターネット、テレビ…様々なメディアから情報を手に入れることができる私達日本人。あらかじめ知ったことを確かめにいく、そんな旅行が多いなか、あまり日本人に馴染みの無いヨルダンの旅は一体どんな旅になるのだろうか。

海外経験はグアムだけ。
そんな私はこの日本から遠く離れた地でどんなことを感じることができるのだろうか。



様々な疑問や不安を抱えながらスタツアにやってきたが、この2日間だけでもいくつかの「気づき」があった。

なかでも私が気になったのは、ヨルダンで出会う人達の「笑顔」だ。

日本は観光地であっても、人に声をかけられると言えば、お店の客寄せがほとんどだろう。
しかし、アンマンでは道を歩くと、私達のようなアジア系の人間が珍しいのもあるだろうが、5秒に一回は「Hello!」「アッサラームアレイクム」などと声をかけられる。

また、現地時間9/8のお昼頃からはFocus on Myself(ヨルダン一日目のブログを参照して下さい)というプロジェクトで、パレスチナ難民の子ども達に会ったのだが、会った瞬間から笑顔で出迎えてくれた。
数時間の交流の後、今日はお別れ、となった際も頬にキスをし、抱きしめて「I love you!」と言ってくれた。

私は、フレンドリーに接してくれる子供達や市民の人の対応が純粋に嬉しかった。

しかし一方で、日本人としての私にはこのいつでも誰にでも「笑顔」が理解出来なかった。
戦争や人が身近で頻繁に死ぬということを、知らずに私は生きてきた。
アンマンで出会った人達は、家族が殺されたという背景を持っていたり、独裁政治の崩壊後、逆にとても貧しい生活を強いられたりしたという。
パレスチナ難民の子供達は、親から受け継いだパレスチナのアイデンティティを持ちながらも、ヨルダンで生まれ、2つの国のナショナリズムに挟まれているという状況があるようだ。

私には、想像できないような経験を経ても、いつでも笑顔を見せてくれるヨルダンの人々。

今の私にはその笑顔の理由が分からなかった。
この残りの期間で理由は見つかるのだろうか。
国の違い、というと国際問題、マイナス面に思いがちだが、この「笑顔」からの疑問にいつか答えを出したいと思う。

広報局 1年 北村 瞳








【ユーラシア横断スタツア:ヨルダン】大人として


今日はFOMというプロジェクトの為にパレスチナの子供達に会いに行きました。



半分以上が女の子だったのですが、パレスチナの子供達は皆整った顔立ちでした。カメラを通じて子供達と交流する中、ふと今までのスタディツアーや旅行で知り合った子供達のことを思い出した。



カンボジアのバサックスラムという場所で出会った子供達は人懐っこく、一緒に遊ぼうとしつこいくらいにせがんできた。



チベットで出会った子供達は家畜の世話が大変だから嫌だと話していたが、カメラを渡すとキラキラした目で写真を撮ることに夢中になっていた。


インドネシアの村で出会った子供達は僕のことを見かける度に「日本人!」と呼びながら挨拶をしてきて、名前を教えるとすぐに覚えて名前を呼んできた。


日本の子供達は元気にひたすら鬼ごっこを繰り返し、飽きること無く僕のことを追いかけてきた。




僕はいくつかの国で様々な人達と触れ合う機会に恵まれたが、出会った子供達は皆キラキラした瞳で僕のことを見つめ、遊ぼうとせがんできた。



裕福な家庭の子供、貧しい家庭の子供、親のいない子供、大家族の子供、女の子、男の子、イスラム教徒の子供、仏教徒の子供・・・。



色々な違いのある様々な子供達だが、皆同じように澄んだ瞳を持ち、力強い生命力を持っているように思えた。



世界では、銃を持たされる子供達がいると聞いたことがある。詐欺を手伝わされる子供達がいると聞いたことがある。売られて売春を強要される子供達がいると聞いたことがある。



もし澄んでいない瞳を持った子供達や、生きる力強さ、子供本来の純真さを持たない子供達がいるならば、それは僕ら大人が子供達へ与えた影響の結果なのではないだろうか。



僕ら大人は、今後の将来を担って行く子供達が澄んだ瞳を持った大人になることができるように考えるべきだと思う。


そんなことを考えながら、ヨルダンに住むパレスチナ人の子供達と遊び、彼らの美しい澄んだ瞳が永遠に曇らないようにすることが僕ら大人の責任だろうな、と感じた。


【イベント局 4年 星野 直人】

ヨルダン一日目


私たちヨルダンスタディツアー組は
24時間以上にわたる長旅を終え、
昨夜無地ヨルダンの首都アンマンに降り立ちました。
ユーラシア横断組とも合流し、総勢24名の大所帯です。


空港からの道のりでみた砂漠の世界に始まり、
砂色の四角い建物、アラビア語の看板、街に遺った遺跡、
乾いた風、毎日決まった時間に街中に響くコーラン。

早速現地の方や難民の方ともお話しする機会をいただき、
五感をたくさん使った一日でした。


今日からの約10日間、ここで何を見て何を感じるか。
空港に向かうバスの中では何を思って窓の外を見つめているか。
考えるだけでわくわくします。



さて、今回のスタディツアーで行うFocus on Myselfプロジェクトについて紹介したいと思います。

このプロジェクトでは、
訪れた国のこどもたちにインスタントカメラを手渡し、
『大切なもの』『つらいもの』『自分の国の紹介』の3つのテーマに沿って写真を撮ってきてもらいます。

その後一人一人へのインタビューを行い、写真を撮った理由をききます。
こどもたちの視点から、彼らの日常や世界観を垣間みることができるのです。

Focus on MyselfはS.A.L.で最も歴史のあるプロジェクトで、
ヨルダンはカンボジア、日本、チベット、インドに続く5ヶ国目となります。

プロジェクト開始以来、増え続けるこどもたちの写真は、3000枚を超えました。
一枚一枚の写真に物語があり、テレビや新聞とは違う気付きがあります。


今回はヨルダンにてパレスチナ難民のこどもたち、イラク難民のこどもたちに写真を撮ってきてもらえることになりました。

1948年にイスラエルが建国されて以来、祖国を追い出されたパレスチナ難民。
ヨルダンの人口の7割はパレスチナ難民が占めているとも言われています。

パレスチナ難民の第2世代、既にヨルダン人となったこどもたちは、
どのようなアイデンティティーを感じているのでしょうか。


そしてちょうど10年前の9月11日、
アメリカでの同時多発テロをきっかけに始まったイラク戦争、
激化する宗教対立で混沌としたイラクからの難民。

移り変わる世界において人々の関心は薄れつつあるかもしれないけれど、
難民は今も増え続け、厳しい生活を強いられている人がたくさんいます。


今、彼らのファインダー越しにどんな世界が見えるでしょうか。
それは私たちの目、写真を見た人の目にどう映るのでしょうか。


ヨルダンスタディーツアーのはじまりです。

2011年09月08日

カルマ



9月4日。バラナシを離れ、アーグラへ向かう。バラナシからデリーへ、デリーからアーグラへと長時間に渡る移動日となった。
 
 その間、バラナシでの滞在を踏まえ、私なりに考えたことを伝えたい。

 私はこれまで途上国に対し、生活水準を上げ経済的な豊かさを提供することが先進国としての責任であり、適切な支援であると思っていた。
 しかしながら、バラナシで生活する人々の暮らしを見て、彼らは本当に私たちが行っている支援を必要としているのだろうか?といった疑問が生まれた。

彼らが、私たちの生活水準とはかけ離れた生活をしているのにもかかわらず、幸せに笑いながら生活しているように見えたからだ。

 
 私たち日本人は、物質的に豊かになることに意味を求め、経済的な側面に重きを置く。幸せになるためには、ある程度の経済的な安定や向上が必要になると考えているからなのかもしれない。

 この幸せの定義をバラナシの人々に当ててみた。

 彼らは、人生そのものを宗教的観点から捉え、『カルマ』といった概念を通じ、人生そのものを楽しもうとしている。物質的な幸せよりも、精神的に満たされた幸せを彼らは選ぶのだ。こういった私達にない価値観は、インド人にとって人生を上手く生きるためのモチベーションになっている。幸せになるかどうかは、来世に向けた現世の行いで決まるのだと言ってくれたインド人を思い出した。

 このように、彼らは私達先進国とは異なる価値観を持っている。しかしながら、私達はそれに気づくことなく、私達の価値観を支援という形で押し付けようとしている。


 物質的な幸せを手に入れることが、インドの人々にとって好ましいものとなるのだろうか?

 先進国に近づくことが果たして彼らにとって本当に意味のあるものなのだろうか?

 
  この疑問に対して、ある一つの答えが生まれた。

  本当の支援=インドのニーズに答える。
  一方的な支援でなく、彼らの声に耳を傾け、彼らに沿った支援を行う。


 支援活動を行う際、途上国のニーズに沿った支援を行うのは大前提である。
 
 しかし、今回のバラナシでの滞在を終えて、本当のニーズというものは、途上国の生活を体験して初めて考えることができ、簡単に決めることのできる問題ではないということに気づかされた。ネットや資料で理解することの出来ないもっと深い問題が現地にはあるのだ。

 
支援活動とは先進国と途上国の『対話』によって成り立つ必要がある。

援助国が単に支援をするだけではなく、被援助国に対し理解を深め、被援助国のニーズに答えようとする働きかけが、本当の意味での支援につながるのではないか。

 
 私は今現在、彼らの本当の声を聞くにはどうしたらいいのか模索中である。
 
 残りの旅で少しでも答えに近づくことが出来たら幸いだ。


 国際局 1年 山城慶尚
posted by S.A.L. at 20:05 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月07日

旅のすすめ


「みなさんはインドと聞いて何をイメージしますか?」


インド、ヴァラーナスのマザーベイビースクールで実施した「Child Credit」というプロジェクトは、子どもたちにお金の使い方やモノを生産するということ、それらにまつわる約束ごとを学んでもらい、将来の参考材料の一つにしてもらうことが目的だ。


「Child Credit」とは私たちインドスタツアメンバーが考えた造語であり、
意味は「Micro Credit」×「Child」である。


このプロジェクトは、子どもたちに架空のお金を「貸す」ところからスタートし、子どもたちは借りたお金で材料を買い商品を「生産」する。作った商品を「売り」、得た収入から最初に借りた分のお金を「返す」ところがポイントである。最後に余ったお金でお買いものをしてもらうまでが、このプロジェクトの流れだ。


子どもたちに作ってもらった商品は、ブレスレット、シュシュ、ストラップ、チロリアンテープで作るヘアゴム、インド風キューピー人形、ポストカードの6つである。


ポストカード用の絵を描いてもらうために、私たちは絵のテーマを「インドの紹介」に設定していたのだが、スタッフのまりいさんからそのテーマは子どもたちには難しいかもしれない、というアドバイスをいただいた。



理由は 「私たちがイメージしているインドを、子どもたちは経験したことがない」 からだ。



インドといえば、サリー、タージ・マハル、カレー、象などをみなさんも連想するのではないだろうか。


しかし、マザーベイビースクールに通う子どもたちはサリーを着たことをなければ、タージ・マハルや象を見たこともない。カレーは日本人にとっての米のように、子どもたちにとっては毎日当たり前に食べている食事なので、「インド」というイメージには繋がらない。



私は「目線」をヴァラーナスの子どもたちに合わせることが出来ていなかったのだ。



現地の人々に「目線」を合わせること。これはこのプロジェクト行う際に限ったことではなく、旅をするすべての人々に共通して言えることだ。


私たちはついつい勝手作り上げたその旅先の「イメージ」を追い求めて、旅をしているのではないだろうか。ガイドブックに載っている観光地、旅番組で紹介されていた美味しいレストランを訪れて満足するだけでは、旅をする意味がない。


現地の人々に「目線」を合わせ、現地の人々と触れ合い話し合うこと。これらは日本でいくらガイドブックを熟読しても、得ることができない経験だ。これが旅の醍醐味なのである。


私はカレーを食べるために、タージ・マハルを見るために、象に乗るためにインドに来たのではない。現地の人々と「目線」を合わせるために、インドを訪れたのだ。


ヴァラーナスの子どもたちに目線を合わせられなかったことを恥じると共に、なぜ私が旅をしたくなるのか、まりいさんの一言によって再確認させられた。




現地の人々と同じ「目線」で世界を見てみたい
私は日本でもわかることなんか求めていない




「みなさんは、何を求めて旅をしますか?」




【文責:2年高田音葉】

posted by S.A.L. at 17:23 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[ユーラシア大陸横断スタツア:インド]インド嫌いの処方箋。



僕はインドが嫌いだ。

初めてのインドに到着して、すぐに僕が口にした言葉だ。インドの第一印象は、まずなによりも不衛生さが際立つことだった。道には際限なくゴミが捨てられている。道の真ん中に堂々と、牛のフンが横たわっていた。ゴミとフンと湿気で街全体から異常な臭いが発せられ、もしも日本でやったら誰もが振り返るような音量で、クラクションが鳴り響く。道を聞けば違う方向を指さされ、値段を聞けばぼったくられる。僕は彼らのバイタリティに圧倒され、そして拒絶した。


それでもしばらく滞在するうちに、彼らの根底が見えてくる。毎日新しい発見がある。

例えばインドのクラクション。無闇に鳴らしているようで、実はそうでもない。日本ではクラクションは主に「危ない!」という意味で使われている。一方でインドでは車や自転車やリクーシャが縦横無尽に走っているため、事故を減らすためにより密なドライバー同士のコミュニケーションが必要なのだ。だから彼らはクラクションを「俺はここにいるからみんな気をつけてよね!」という、かなりソフトな意味で使っている。そう思うとあの騒音も、あまり気にならなくなってくる。

また、彼らは自身のコミュニティを大事にする。コミュニティ内の人間には、とても親切に接するようだ。料金をふっかけてくるのは、僕らが部外者であるから。だけど、ときどき彼らのコミュニティに入り込めることもある。仲良くなったインド人のおじさんに、家に招いてもらった時のこと。親切にも、僕らは彼に夕飯をご馳走になった。地べたに座りながら、素手でかきこむようにして食べたカレーの味と、彼への感謝の気持ちは忘れられない。

ゴミに溢れた街だって、ふと見上げれば日本よりも大きな空が広がっている。僕らが語り明かした後に見た、ガンジーから登る壮大な朝日は、他のどんな夜明けよりもロマンチックだ。


僕らは一人一人が自分の価値観を計るモノサシを持っている。そのモノサシはとても大切なのだけど、いつも正しいとは限らない。だから時には、自分の価値観のモノサシを変形させることも必要だ。もしそうしたいと思ったら、ただ純粋に相手を知ろうとすればいい。その国を知りたいと思えばいい。そうすれば、世界は変わって見えてくる。大きな何かを受け入れられるようになる。

僕らは今、ドバイに向かっている。このガサツな国、インドからもとうとうお別れだ。そこで最後にひとつ、訂正させてほしい。

僕はインドが大好きだ。



文責:杉本将太

posted by S.A.L. at 17:09 | Comment(0) | 2011夏-ユーラシア横断スタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

映画

みなさん、普段映画は見ますか??
私は映画は大好きです!でも、ジャンルはかなりしぼっていて、普段はラブコメディーばっかり見ています。
なんでかっていうと、ハッピーエンディングで終わるという保証があるし(笑)、見ていて元気がもらえるから。
逆に、銃や人が死ぬ映画は苦手です。
単純に、戦闘シーンや人が死ぬところを見たくない、と思っているのですが、
世の中に起こるマイナスのことから目をそむけたいという気持ちがあるのかもしれません。

私の中で「私が見る映画と言えば、明るくて自分を元気にさせてくれるもの」という固定観念がしっかりとしみついてしまったようです。
もちろん、見る人に何かを考えさせる映画もあるけれど、
私は楽しみのために、自分がプラスのエネルギーを得るために映画を見ている。それが私流。

だから、s.a.l.filmsでドキュメンタリー映画をつくる、という企画ができるまでドキュメンタリーというものはあまり見ていませんでした。
ものによるけど、ドキュメンタリーって眠くなったり、何を伝えたいのかメッセージがよくわからなかったり、面白みのないものが多い。そんなイメージを持っていたのです。

カンボジアの地雷についてのドキュメンタリーって、私が見る映画としては遠く離れたもの。。
実際に仲間がつくったものを見たら、やっぱりそれはいわゆる「ドキュメンタリー」であったけど、でも私は、
自分の中の「ドキュメンタリー映画」というカテゴリーの中に、新しいものを発見したような気がしました。

その理由は、みなさんが実際に「CROSS ROAD」を見て感じていただけるといいな、と思います。

さて、s.a.l.filmsでは10月7日(金)に成城ホールでドキュメンタリー映画「CROSS ROAD」上映会を開催します!
スペシャルゲストも来ちゃうかも!!というわけで、みなさん是非お越しくださいませ☆
「CROSS ROAD」ってナニ?という方も、「見たい!!」という方も、詳細はこちらのURLからどうぞ➡http://crossroad-salfilms.com/

そして写真は、総合演出の重田作のポストカードです!
crossroadカード.jpg

s.a.l.films
「CROSS ROAD」
http://crossroad-salfilms.com/

国際局3年
もりえ
posted by S.A.L. at 22:40 | Comment(0) | CROSS ROAD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【ユーラシア横断スタツア:インド、ヴァラーナス】色鉛筆


箱の中に何色もの色鉛筆があるかのような、様々な人種、もの、風景、伝統、そして文化。それらが「インド」という国を織りなす。そこにはまるで一つの宇宙が存在しているかのようだ。


これが、インドという国を表現するのによく使われる言葉であるように思う。


人生三回目の大国インド。昨夏に初めて訪れて以来、ちょうど1年が経った。季節が日本であるように、インドでもそれは姿を見せる。雨季と乾季。景色を装飾する紅葉や雪のような四季の風物詩というものは、この国では見受けられないが、春夏秋冬はしっかりと存在する。


変化はどの国にもやってくる。私のような旅行者である他者からすれば、それぞれの訪問する国に対する理想像とまではいかないまでも、イメージは持っているだろう。インドに対しても決して例外ではない。


汚い。臭い。騙される。そして牛。


これが私の抱いていたそれである。今でも多少は、そう感じてしまうことは否めない。ただ、そんな私のイメージも崩れ去る日は近いのかもしれない。着実に姿を変えようとしているのだ。


インドには多くの牛がいる。道を歩けば一人の人間とすれ違ったかのように、当たり前の風景としてそこに溶け込む。我が道と言わんばかりに身体を揺らしながら歩く巨体たち。その糞によって汚された道と、鼻を突く悪臭。そんな愛着が湧くような、インドらしい風景もなくなりつつある。今年、2月から3月にかけて行われた、クリケットオリンピック。主催地となったのは、インドと隣国バングラデシュ。景観を良くしようと、この国を代表する宗教であるヒンドゥー教が神様と崇める牛にメスがかかった。街をきれいにすることを目的に、飼い主たちは1,2頭しか外に放してはいけず、それ以外は家の敷地内に入れておかなければならないという。


また、この国にはリキシャというタクシーのような乗り物がある。近場ならばそれに乗って格安で移動することができる。言わば、庶民の味方だ。そんな便利な道具も変化を見せた。日本では当たり前である「メーター」がついたのだ。この国の一つの特徴してある、何を買うにもどこに行くにも付いて回る値段交渉。メーターという決められた運賃は、ドライバーと私たちとの最初のコミュニケーションを取り除いた。これもクリケットオリンピックの影響なのか。そう考えながら、呆然とメーターに光る数字を見つめ続ける私がいた。


そんな変化は、首都デリーから徐々に他の地域に広がっていく。私が今回行ったカシミール地方シュリナガル、ラダック地方レー、そして眼下にガンジス川が広がるヴァラーナスにもリキシャは相変わらず走っていた。しかし、そこにはメーターはない。多くの牛が闊歩する姿も健在だ。私の持つインドという国のイメージの崩れの波は、いつ隣国との国境まで流れいってしまうのか。


人間は絶えず変化を求める生き物だ。だが、ただ変わるのではなく、ときに保つことも必要である。「不易流行」。江戸時代の俳人松尾芭蕉が用いた言葉である。永遠性と流動性の根本的一致。両者の尊重、そしていずれかへの選択に際し、慎重さを軽んじてはならない。絶えず変化し続けるこの世界で、インドという箱の中に眠る色鉛筆がそれぞれの輝きを鈍らせないように。そんな風に願いつつ、広大な大地を飛行機の機内から見つめながら3度目の別れを惜しんだ。

【文責:広報局 瀬谷健介】
posted by S.A.L. at 16:51 | Comment(0) | 2011夏-ユーラシア横断スタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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