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2011年09月12日

【ユーラシア横断スタツア:ヨルダン】サナおばさんの9.11

ぼくが9月11日をどう思うかを聞くと、サナおばさんはゆっくりと、そして流暢な英語で話しはじめた。

「同時多発テロが起きたときわたしは、よし、アメリカが攻撃された。よくやった、と思ってしまいました」。

*

サナおばさんはイラク難民の女性だ。夫はもともと大学院の教授で、彼女自身もイギリスで暮らしていた経験がある。知識層であったがために、フセイン政権崩壊後には武装勢力に連れされさられた。いま、彼女は一家でイラクからヨルダンに逃げ、アンマンで難民として暮らしている。

*

「しかしわたしは考え直したんです。9月11日のその日、無垢な人々がたくさんあのビルにはいて、みんな死んでしまった。もしもわたしの家族、息子や娘が彼らと同じようにあのビルの中にいたら。そう考えると、わたしはとても悲しくなるんです。日本人も含め、多くのアラブ人も犠牲になっている。すべてのひとびとは、みんな無垢なひとびとだったののです」。

サナおばさんは一息ついて、続けた。

「だからわたしはほんとうに、彼らに申し訳ないと感じています」。

同時多発テロのことを、いちどでも「よし」と思ってしまった自分を、彼女は責めていた。「無垢な人々は、政府とは関係がないのに」。アメリカの政府は嫌いだという彼女も、アメリカのひとびとを嫌いだとは思っていないのだ。

*

アメリカ政府がイラクでしてきたことを、彼女は身をもって経験してきた。だから彼女はアメリカ政府が嫌いだ。彼女のとある友人は3年前、自宅にいるところを爆撃された。粉々にされた彼女の家々から見つかったのは、たったひとつのキーホルダーだけだった。「そんなことがイラクでは何百も、それ以上も起きているんですよ」。そう語るサナおばさんの表情は、とても硬かった。

「アメリカ政府は泥棒とおなじです。豊かな国だったイラクから(二度の)戦争で、石油を奪っていったから」。

*

きょう、9月11日。同時多発テロ10年目の日に、ぼくはイラク難民の家で、彼女自身の口から、彼女の「9.11」を聞いた。

「サナおばさんの9.11」は、ぼくにとっての9.11をおおきく変えた。単なるテレビの中の出来事でも、歴史上の出来事でもない「9.11」が、そこにはあった。それは彼女たちにイラク難民にとって、そしてその他のイラク人、アフガン人にとって、紛れもなく「自分の人生を変えた出来事」だったのだ。

彼女の大好きだったイラクは破壊されつくされ、彼女は自分の国を捨てざるを得なくなった。彼女が伝統的なアラブ菓子を振る舞いながら見せてくれる笑顔の裏側には、ぼくには到底理解し得ない悲しみと、悩みがあったに違いない。

*

宿で出会った香港人にこの話をしたら、彼はぼくに尋ねた。「君はそういう経験をしたうえで、日本に帰ったらイラクの人たちにどうしたいの?なにができるの?」

ぼくはこの10年間、なにをして来たんだろう。そしてこのあとの10年間、ぼくにはいったいなにができるんだろう。

【広報局4年 はたちこうた】
  
posted by S.A.L. at 09:12 | Comment(0) | 2011夏-ユーラシア横断スタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

【ユーラシア大陸横断スタツア:ヨルダン】誤解。

僕はイスラム教に対して大きな誤解をしていたようだ。イスラム教と聞くと「テロ」や「過激な宗教」といった負のイメージが意識せずとも浮かんでしまう。しかし本来、イスラム教は平和を重視する宗教である。それを表すように、アラビア語で挨拶をする時に使う、アッサラームアレイコムの厳密な意味は「あなたの上に平和が訪れますように」である。


僕らはいま、ヨルダンの首都、アンマンにいる。ここで僕らはイラク戦争によって難民となってしまった人々と一緒に過ごす機会に恵まれた。僕はここで、自分がどこか他人事に感じてしまっていた「イラク戦争」の、今なお当事者であることを自覚した。

日本は戦争時、イラクに対し自衛隊を派遣した。もちろんそれは軍事行為を行うためでなく、人道復興支援のためであった。実際に医療支援や給水、公共設備の復旧など、多くのイラクの人々にとって役立つ活動であった。

ところが残念なことに、少なからず誤解も起きてしまった。「日本には軍隊はないと聞いていたのに、日本軍がアメリカ軍と一緒にやってきた」。たしかにイラクの人々からすれば、米軍と一緒になってやってきて、最新の武器を持ち、迷彩服を着た自衛隊が自国を占領しにきた「軍隊」だと見えてしまってもさほど不思議ではない。日本はアメリカを止めることができた数少ない国であったのに、そうせずアメリカに「加担」したのだと反感をもつ人々は今でもいるという。

僕にはアメリカが始めたイラク戦争が正しかったのか、日本の自衛隊派遣が正しかったのかは分からない。ただ、大きな海を隔てて誤解が生まれてしまったことだけは確かだ。戦争が終わった今、この誤解を解けるのは、人と人との関わりあいだけなのかもしれない。それはちょうど、僕のイスラム教への誤解が柔なかなものへと変わったのと同じように。

僕は彼らと出会ったら、傍観者としてではなく一人の日本人として、心をこめてこう言おう。

アッサラームアレイコム(あなたの上に平和が訪れますように)。

文責:杉本将太
posted by S.A.L. at 09:04 | Comment(0) | 2011夏-ユーラシア横断スタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽しさの裏に

私は今ヨルダンスタツア、4日目の夜を過ごしています。
アンマンの街にも慣れ、ショッピングや死海の観光、子供たちとのプロジェクトなど充実した日々を送っています。


このスタツアに参加する前、友人にヨルダンに行くというと、「気をつけて」という言葉をたくさん言われました。


私はそう言われる度、中東に行くからって危険だと決めつけるのはよくない、アメリカやイギリスもテロの危険はあるじゃないか、と思っていました。


そして実際ヨルダンに来てみると、治安もそれほど悪くなく、気さくでいい人ばかりで危険を感じることはあまりありません。


ではなぜヨルダンはシリア、イラク、イスラエルなどに囲まれているにも関わらず、安全を保っていられるのでしょうか。


今回のスタツアをアレンジメントしてくださった高遠さんによると、ヨルダンはパレスチナ難民、イラク難民などを多く受け入れている国であることが関係しているようです。


ヨルダンが政治的に不安定になってしまったらみんなが行き場をなくしてしまう、それをみんなが分かっているから革命がおきにくいそうです。


私はこの話を聞いて、ヨルダンは本当の意味での安全を手にいれてはいないのではないかと思いました。


私が、ヨルダンに来て安全ですごしやすい国だなと感じる裏には、難民が多いからという決して良いとは言えない理由があったのです。


「もし、何かがきっかけで民族同士ののバランスが崩れることがあればヨルダンはどうなってしまうのだろう」
「外交で資源の少ないヨルダンの政治バランスを保っている国王がいなくなったら」


ヨルダンを本当の意味で安全で平和な国だと言うためにはもっと根本的に問題を解決していくことが重要なのだと感じます。


今回のスタツアでイラク難民の子供と関わる中で無邪気な笑顔の奥にも、消しがたいトラウマを抱えているという事実を突きつけられました。

彼、彼女たちの心の傷の過去やその原因を全て無かったことにできれば、と無責任な思いを抱きました。

難民が出ないような、生まれた国から着の身着のまま逃げ出すことのないような、そんな世界が欲しいと心から思います。

2011年09月10日

魅力大国 インド

インドスタツア。

今回訪れた都市は首都でもあり観光客が多く一番にぎやかなデリー、ガンジス川がありヒンドゥー教と深く結びついている聖地バラナシ、タージマハルが有名なアーグラ、ピンクシティーとも呼ばれ王室と共に歩んできた街ジャイプール。
それぞれの街に特色があり感じ取れるものや考えさせられる事は様々だった。インドはとにかく汚くて臭くてうるさい国だが魅力の方が遥かに優っていた。今回の滞在によってインドという奥深い国を知る出発点に立てた気がしている。


今日、経済成長真っ只中でBRICsの一つとして数えられ世界から注目を浴びているインド。
そんなインドを訪れまず感じた事。それは人々の勢い。とにかく圧倒されてしまった。人々そして街全体が生き生きとしていた。人々はとても濃い日々を過ごしている様に感じ取れずにはいられなかった。この国民の勢いにはヒンドゥー教が影響している様だった。インドにはカースト制度が深く根付いている。ヒンドゥー教の根本的概念である輪廻転生の教えに「現在の人生の結果によって次の生で高いカーストに上がることができる」というものがある。これがインドの人々そして街の勢いを生み出しているのだと思う。日々を必死に生き来世でよりよいカーストになる為人々は精一杯生きている。だから勢いがある。ただカーストは生まれてからは変える事が出来ずまた親のカーストを受け継ぐ。そのため子供が将来就きたい職業に就けない非情な現状もある。しかしこの現状は国際的に批判されていようがきっと変わらないだろう。
なぜならインドの人々はヒンドゥー教と共に生きているからだ。言葉では表しにくいがヒンドゥー教はインドにとって不可欠だと滞在中常に感じた。勢いや活気に溢れた街。そのにぎやかな街並みの背景にはヒンドゥー教との結びつきがあったのだ。


そして今回一番衝撃を受けたのはバラナシを訪れた時だった。
バラナシでは屋上から街全体とガンジス川を一望出来るゲストハウスに宿泊した。ゲストハウスの屋上から小さい家々の屋上をみた時ゾッとした。蒸し暑いのに多くの住民が屋上で家族全員で寝ていた。話し合っている家族もいれば、ふざけ合ってる子供もいて見ていた自分まで幸せな気持ちになるくらい幸せそうに見えた。日本では感じた事のない気持ちだった。
カースト制度があるこの国ではきっと幸せの感じ方が他の国と全く違うはずだ。与えられたテーマを生き抜くインドの人々の偉大さを知った。日本からみて経済的には劣っているインドで見た幸せは自分の想像の遥か上をいく幸せだった。



その光景を見てから

ヒンドゥー教と共に生きているこの国に経済成長がこれ以上必要なのか。それは先進国の都合による価値観の押し付けではないのか。

こう考えざるを得なくなった。宗教を重んじる国であり続けるのか、経済成長を今後もこのまま続けていくのか。信仰深いインドでは両立はとても難しいはずだ。個人的には宗教を重んじているインドだからこそバラナシで見たような幸せがあるのだと思っているので経済成長は必要ないと思う。先進国と呼ばれる国がBRICsや発展途上国と比べ何が優っているのだろうか。インドを訪れこう思った。


本当に日本に無いものばかりある国だった。無宗教の日本で生きてきた自分にとってインドのヒンドゥー教との結びつきの強さは想像を絶するものだった。インドの魅力そして日本の良さも再確認する事が出来た。
自分はインドを知る出発点に立ったばかりだ。
来年も訪れたいと思う。

【2年市川匠】 
posted by S.A.L. at 23:53 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極上のスパイス


9月5日

私たちがインドに降り立ってから、もう10日以上過ぎた。毎日訪れる謎の腹痛にもだいぶ慣れ始め、むしろその痛さが快感に変わりつつさえある。

とてつもなく狭いバスに15人で6〜7時間乗りながら、私一行は昨日から、アーグラという街に来ている。

なぜこの街を訪れているかというとだ、世界で最も美しいとされる建築物、タージ・マハルを一目見るためなのだ。

簡単に説明すると、タージ・マハルとは、ヤムナー河畔にそびえ建つムガル皇帝、シャー・ジャハールの愛の記念碑とのこと。

先に言っておくが、私は、まったくと言っていいほどに世界遺産だとか、歴史的建築物などには興味がないのだ。
今回インドに来た理由も、日本で送る単調な毎日に相当の嫌気がさし、インドを訪れ、真新しい景色を見て、異次元の経験をすることによって、自分の人生にスパイスを加えたかったため。

旅の疲れも相当きていて、タージ・マハルまでの足取りは重く、入場料に750ルピー払うことは自分にとって、無駄遣いだと悟った。

しかし嫌々750ルピーを入り口で支払い、門をくぐり、「それ」を目の当たりにしたとき、体が硬直し、文字通り私は釘づけになったのだ。

今朝発表されていた最悪の前期の成績や、食べたくて仕方のなかった日本食のこと、無性に会い焦がれていた大好きなアイドルの女の子のことなど、タージ・マハルの威厳ある佇まいを見た私は、綺麗に頭から吹っ飛んでしまった。

これほどまで、建物に圧倒されたことなど人生で経験したことのなかった私にとってこの事実は、自分の人生への極上のスパイスであるだろう。

余談であるが、タージ・マハル周辺での我々日本人の人気具合が半端ではなかった。女の子メンバーはひっきりなしにインド人観光客に写真を迫られる光景は正直滑稽でしかなかった。
かという自分も(筆者はS.A.L内でも随一のイケメンである)たくさんのインド人に写真撮影をせがまれた。しかもだ、一番私が面白いと思ったのは彼らインド人、わざわざ高い入場料を払っているのにだ、まったくタージ・マハルに興味を示していなかった。
ちょっとばかし感動のひとときに浸っていた自分はちょっぴり現実に引き戻された感じ。

だがしかし、こういう不思議な経験も出来るのも途上国でのスタディツアーならではである。初めて会った相手に、何度も何度も写真をせがまれ、中には、小さな息子や娘も抱かせられてまでの大撮影会。日本じゃ絶対に起こりえない光景だ。
私は、観光地ツアーよりもこういう人と人との面白いひとときを見つけるためにインドに来たんだ!と改めて現地の威勢のいいインドボーイズに気づかされた。

明日もバスでの長時間移動が待っている。そろそろこのブログを書くのもやめておくとしよう。



[イベント局1年 望月俊輔]



posted by S.A.L. at 10:22 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

CROSS ROAD試写会

おはようございます!
今日は残暑が厳しい一日になりそうですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか(*^^*)?
私は、大学生として3回目の長い夏休みも終盤に差し掛かり、寂しい気持ちになってきました...

さて今回はsal filmsから、先月29日に行われたCROSS ROAD完成披露試写会についてお話させていただきたいと思います♪

今回の完成披露試写会には、プレスの方や企業の方など、お忙しい平日の夜にもかかわらずたくさんの方にお集まりいただきました!
試写会の会場は、新橋駅前のTCC試写室。
今まで試写を行っていた教室とは違う、本格的な音と映像でドキュメンタリーをご覧いただくことができました!

そして、今回の完成披露試写会にご来場いただいたオルタナ様が、早速CROSS ROADをご紹介くださいました( ´ ▽ ` )ノ
記事はこちら!
http://alternas.jp/filmsbooks-2/2011/08/8207.html

オルタナ様、ありがとうございました!


sal filmsがお送りするドキュメンタリー映画「CROSS ROAD」の上映会は、10月7日(金)成城ホールにて行います(^^)♪
詳しくはCROSS ROAD特設ページをご覧ください。
http://crossroad-salfilms.com/

ご来場お待ちしております!


イベント局3年
小池 希実
posted by S.A.L. at 08:27 | Comment(0) | CROSS ROAD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【ユーラシア横断スタツア:ドバイ】美しさの果ては

(ブログ更新が遅れ、ごめんなさい。ユーラシア組はいまヨルダンにいすが、今日はドバイに関する日記を掲載します)

ドバイの夜はほんとうに煌びやかだ。高さ800mのブルジュ・ハリファを中心に延々と続くビル群。真っ直ぐに整備された片側6車線の道路、その上を颯爽と駆け抜けるドバイ・メトロ。なにもかもが緻密に計算され、デザインされたうえに成り立っている。

躍動する都市、沸騰都市、中東の中心地、世界経済の中心地。ドバイを表す美辞麗句を並べれば、それはそれはキリがない。事実、その言葉たちに相応しい様相をドバイは見せているし、ぼくらもその姿に魅了されていたことは間違いない。夜のドバイ・メトロに乗って街を見下ろせば、そこはまさに「未来都市」そのものだ。

しかしなんだか、ぼくはその「計算され尽くした未来都市」に違和感を覚えた。そこには「人間らしさ」がなかったからだ。生活感、といったほうがよいのだろうか。市場やそこに集まるひとびと、飛び交う怒鳴り声やクラクション。そんな暑苦しい、生々しい生活感。ごちゃごちゃで無秩序で、でもなんだかそこに隠れる温かみ。それが、ドバイにはない。

ぼくがインドからドバイに入ったから、余りにも大き過ぎるギャップに気持ちが追いついていなかったのかもしれない。日本にだって、そんな生活感はないかもしれない。いや、それにしてもドバイはぼくにとってやっぱり「無機質」だった。

きっとドバイは、あまりにも合理的過ぎるんだと思う。合理的過ぎるがゆえに美しい。たしかにそれは便利だし、綺麗だし、未来的だ。しかしそこで「無駄」「邪魔」「汚い」と、排除されてしまうものたちがある。ぼくはそこにこそ、ほんとうの人間らしさが隠れているのではないだろうか。

合理性を追求し過ぎるがゆえに消えてしまう、人間の繊細さや雑さや、面白さ。その分手に入る、美しさや統一性や、便利さ。どちらを生かし、どちらを殺すかはわたしたち次第だけれども、ドバイを見ていると、ぼくはちょっぴり寂しくなる。

ふとドバイの裏路地に迷い込んだとき、野良猫と出会った。そういえばドバイでは、こういう動物たちも滅多に見ることがなかった。野良猫はぼくに気がつくと、が寂しそうに「にゃあ」と鳴いた。その後ろでは、ブルジュ・ハリファが独り、堂々と空に向かってそびえ立っていた。

【広報局4年 はたちこうた】

posted by S.A.L. at 05:39 | Comment(0) | 2011夏-ユーラシア横断スタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『実感』

ヨルダンに来て3日が経ちました。


昨日私たちパレスチナチームはパレスチナ難民のこどもたちと,そしてイラクチームは今日イラク難民のこどもたちと『Focus on myself 』 のプロジェクトを行いました。

私がここに来て一番感じていることは,『実感』の大切さです。



『パレスチナ問題』『イラク戦争』と言う言葉だけなら誰だって必ず聞いたことがあるはずです。

にもかかわらず私たちは、少なくとも私は、学校の授業やメディアを通じてしか知りえないこうした問題を自分の問題として捉えられていませんでした。
『実感』することができていなかったのです。

しかし、ヨルダンを訪れ,パレスチナ難民のこどもたちの無邪気な笑顔を目の前にしたとき,ふと彼女たちが"パレスチナ難民"であることを思いだし,『パレスチナ問題』という今まで漠然としていた問題が急に自分に迫ってくるような感覚に襲われました。



どんなに遠い国であっても、どんなに危険な地域であっても、そこには私たちと何ら変わらない同じ無邪気な"笑顔"があって、同じ尊い"命"がある。

考えてみれば当たり前の、そんな事実を『実感』できる機会に恵まれ,私は今本当に充実した日々を送っています。


国際局 1年 配川瞳

やさしさのかたち

16日間のインドスタディツアー。
デリーの空港で、インド人たちの好奇な視線にさらされ、1匹の野良犬におびえていた初日から、今日まで、思えばあっという間だった。毎日が、たくさんの興味深い人たちとの出会いと新たな発見の連続で、飽きることがなかった。


そして、ついに、海外で過ごす最後の日を迎えた。バンコク2日目は、タイの王宮、ワット・プラケオを訪れた。きらびやかな装飾や鮮やかな色使いに目を引かれた。
その後、バックパッカーたちの聖地、カオサン通りへと赴いた。通りにずらっとひしめきあう露店に、カラフルなフルーツの並ぶ屋台。時折聞こえてくる、日本人を引き寄せるための日本語に、値段交渉の現場。ここで、はじめてタイ人とふれあえた。



タイでは、道を歩いていて、声をかけられることはない。目が合えば、にっこりほほえんでくれるが、私たちをじろじろ見ることはない。タイ人の方からわざわざ近づいてくることはないが、私たちが困っているとすぐに手を差し伸べてくれる。インド人の執拗さを13日間味わった後で、心にすっと入ってくるタイ人のやさしさに安心した。

一方で、インド人とのあつくるしいほどのふれあいに慣れてしまったからか、タイでの人との交流の少なさに、寂しさを感じている自分もいることに驚いた。インドでは、観光地にいなくても、少し道を歩くだけでインド人に「Japanese?」「カワイイネ」「コンニチハ」と声をかけられる。少なくとも、インド人は私たちのことをいつも興味津々で見ていて、彼らの方を見ると、必ず目が合う。だから、インドでは現地の人とのふれあいは、嫌でも向こうからやってくるものだった。最初は、そうしたインド人の行為1つ1つに不安を感じたこともあった。だが、インド人は、私たちを不安にさせようと思ってそうしたのではないだろう。それが自分の心に素直に生きている彼らの交流の方法なのだと気付くと、インド人の執拗さも人間味のあるあたたかさとして受け入れることができた。


どちらかが良いとか悪いとかいうわけではなくて、一歩引いて待ちの姿勢でいるやさしさも、積極的に交流しようとするやさしさも両方あってそれでいいのだと思う。ただ、見て見ぬふりが繰り返される都会には、もう少し後者のようなやさしさがあっても良いのではないだろうか。
インドでの経験を通して、当たり前だと思っていたことが、自分の中で覆されていることを、タイに来てまたさらに実感した。

【広報局1年 小澤 茉紗】
posted by S.A.L. at 00:25 | Comment(0) | 2011夏-インドスタツア- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヨルダン 2日目

ヨルダンスタディツアー 2日目は
アンマン市内の観光、パレスチナ難民の子ども達を対象としたFoMプロジェクトの初日でした。


スタツア初参加の私は、
今まで日本人の多い観光地にしか行ったことがなかったので、
不安とFoMプロジェクトに対する期待が半分半分でした。


まだ2日しか経っていませんが、改めて自分の目で見て、感じることは大切なんだと実感しました。
もちろん、本やネットなどで学習し、知識を得ることも大切ですが
実際に自分で体験してみると
事前に得た知識とは違う知識、考えを得ることができます。


今日は、アンマン市内の観光、FoM、夕食のファルージャ料理で
多くの人と出会い、話を聞き、昨日とは違う見方でヨルダンを見ることができました。

FoMで出会ったパレスチナ難民の子ども達は
プロジェクト終了後に私たちに可愛らしい歌と踊りを見せてくれました。
その歌には、戦争で親を亡くした子ども達の想いが込められているそうです。
目一杯の笑顔で歌い踊っていたので、それを聞くまではそんな意味があるものだと全く想像もしていませんでした。

この衝撃は、実際に自分の目で見たからこそ感じられたものだと思います。




さて、
みなさんは、ヨルダンという国に対してどんなイメージを持っていますか?

最初、私は漠然と危ないというイメージを持っていました。
そして、私の周りにいる家族、友達もあまり馴染みのない国だったので同じ思いだったようです。
しかし、ヨルダンにいる人々はとてもフレンドリーで、過ごしやすく、初めのイメージとは全く違うものとなりました。


きっと、このスタツア期間中に
たくさんの人に出会い、また新たな発見をし、違った見方でヨルダンを見ることができると思います。
そして、スタツア終了後に、実際に自分で見て、感じたことをしっかりまとめられたらいいと思います。


イベント局 2年 津田菜摘
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