2011年09月15日

共生と分離


私たちが旅の前半戦の拠点としたエルサレムの旧市街はとても不思議な街である。
ユダヤ人地区、アラブ人地区、アルメニア人地区、キリスト教徒地区の4つに分けられるその街は、それぞれに属する人々が絶対的な個性を保ちながらもともに共存している。アメリカ合衆国の多様性を表すのに「サラダボウル」という言葉がよく使われるが、この旧市街もまさにその言葉通りといえる。

それは東京から初めてこの街にやってきた私にとっては驚きだったが、エルサレムの人々にとってはごく普通のことでしかない。

スカーフで頭を覆った女性がアルメニア人地区で買い物していくのも、金曜日の夕方に恰幅のいいパパオーソドックス(正統派ユダヤ教徒、黒く裾の長いスーツを着て黒の帽子を被り、多くがヒゲともみあげの毛を伸ばしている)がちびオーソドックスたちを引き連れて嘆きの壁へとアラブ人地区を颯爽と通り抜けていくのも、また自動小銃を肩にさげたイスラエル兵たちの姿でさえ、彼らにとっては日常の一ページにしかすぎないのである。

もちろん、この街にきてまだ短い私には見えない本質があるのかもしれない。
しかし、いちツーリストとして私がエルサレムに見たのは、多様な人々が互いを受け入れて共存している姿だった。



一方で、旧市街とは全く違うイスラエルの側面も垣間見た。

私たちがUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の協力のもと訪問させていただいたのは、パレスチナ自治区ベツレヘムにあるアイダ難民キャンプである。

難民キャンプはその自治度に応じてA、B、Cの3つにカテゴライズされる。
Aは絶対的な自治を行い、Bはセキュリティのみがイスラエルに管理され、Cはイスラエルの管理下にあるキャンプである。
アイダ難民キャンプはこのうちのAに該当する。
多くの人が難民キャンプに抱くであろうイメージとは裏腹に、このキャンプでは教育も医療も職業斡旋も十分にUNRWAによってカバーされ、もちろんインターネットも使えテレビもみれる。お金持ち、というわけではないが、みな自分の家族の家を持ち生活している。

話を聞いたUNRWAに属するアイダキャンプの責任者であり自身も"パレスチナ難民"であるイブラヒムさんは、
「ここにくる外国人には、古い建物や壁の写真ばかりをとって、彼らのイメージ通りの"難民キャンプ"を求める人たちもいるが、ここはもうそんな場所ではない。」
といった。

しかしながら、それが全てではない。
水道設備は完璧でも、水道水の大元がイスラエルの完全な管理下であるC地区にあるため、アイダキャンプでは水道が止まることも週に何度もあるという。



イスラエルパレスチナ問題の話をきく中で彼はいった。

「これは全く宗教の問題なんかではないんだ。私たちは近隣のキリスト教徒ともユダヤ教徒とも仲がいい。イスラエルとだって互いを受け入れればいい話だ。しかしイスラエルはこのような態度をとる(分離壁を建てたことを指して)。この壁があったらどうしようもない。パレスチナの子供たちはこの壁を不思議に思って何なのか聞くだろう。そうしたら私たちは真実を教える。また壁の向こう側の子供たちも同じ疑問を持つだろう。そしてユダヤ人の親は彼らにとっての真実を教える。パレスチナ人は悪い奴らだと。」



最後に親切な彼は私たちにオススメの観光スポットの話をしてくれた。
岩のドームにいったかと聞かれまだだと答えると、
「あそこは素晴らしいところだ、みながいきたがるんだよ。」
とムスリムの彼は教えてくれた。

分離壁に囲まれたパレスチナ人らは、老人や病気などよっぽどの理由がない限りエルサレムに入ることは許されない。
岩のドームに行きたくても行けない人はきっと多くいる。



壁によって分断されたこの国は多くの側面を持っている。

私は幸運にもこの旅でイスラエルやパレスチナの多くを見るチャンスを与えられた。簡単に知ることはできないかもしれないが、この国を表面的にではなく捉えていければとても価値のあるものになるだろう。

難民キャンプや翌日のハイファ大学訪問で聞いた価値のある話は本当に多くあるので、イスラエルについて私の学んだことや感じたことをまた別の形でアウトプットしていきたいと思う。

それは、難民キャンプやハイファの学生に約束したことでもあるから。

渉外局1年 山崎慧
2011.9.14.
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