2011年05月21日

ひとつにならなくていい、日本。



宮城県名取市立・閖上(ゆりあげ)小学校の体育館には現在、数えきれぬほどの写真が展示されている。

展示といっても、木枠にブルーシートを張り、垂らされた紐にクリップで留めてあるだけの簡素なものだ。
多くは四隅が白く変色し、内側に丸まっている。



3月11日、あの大津波が奪い去ったものの大きさには誰の想像も及ばない。
そこにあった日常が一瞬にして消え、その日常を映してきた写真やアルバムも、濁流に飲み込まれた。


津波がひいた後、方々に散った写真やアルバムを集めて展示し、持ち主に返す取り組みが始まった。

塩水に浸かった写真は一枚ずつ洗浄しなければならず、根気強く作業が続けられているが、
中心になって活動する青年は
「市が決めた体育館の使用期限はあと2カ月。それでやっと洗浄が終わるくらいなのに」
と、持ち主を待つ写真たちを見遣った。

IMG_0298-2.jpg


それらを一枚一枚見ていくと、何故だか自分のものもどこかにあるような、不思議な感覚に襲われる。

見たことがあるような構図や表情から、その光景に懐かしさを覚えてしまう。
伝わってくる幸せそうな空気感に、自らの幸せな経験を投影する。

しかし、誰かの人生の一瞬に、果たして自分の幸せを重ねてよいものなのだろうか。
幸せの形は人によって異なるという前提を、この非常事態に吹き飛ばされてはいないだろうか。



突然の災いで失った幸せを少しでも取り戻してほしいという願いが国内外から届き、
「ひとつになろう、日本」と謳われる。

何処となく曖昧な応援ムードの裏で、寄せられた文房具が膨大に余った地域では、ある教員が苦笑する。
「有難いけど、子ども達が物を大切にしなくなっても困っちゃう。」

私には、優しさによる幸せの思い込みがもたらした苦笑に見えた。



あらゆる厳しさに晒される今、日本はひとつになるべきなのだろう。
それでも、人々の中には決して重ならない部分があることを忘れてはならないと思う。

残された写真に映る思いが、幸せの記憶が、その人だけのものであるように、
ひとつにならなくていい、日本。




[文責:近藤まりこ]
posted by S.A.L. at 02:36 | Comment(3) | お知らせ,イベント情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「人々の中には重ならなくてもいい部分がある。」

という言葉にはっとさせられました。
被災者の苦しみに自分の姿を投影して涙ぐむことは、自己本位で、自己注視的な共感に過ぎないと改めて思います。

読んでいてなんだか感動しました。ありがとう!
Posted by しゅうか at 2011年05月27日 21:48
ひとつになろう、日本っていうキャッチコピーをうまく使っててうまいなって思った!また被災地にボランティア行きたくなったわー。
Posted by Seya at 2011年06月02日 04:03
写真を洗浄して持ち主に返す、そんな活動がなされてるって知らなかった。まりこも参加したのかな。
震災後の日本は無理にでも同じ方向を向こうという、ある意味強迫概念的な感覚に縛られてるって私も感じます。

改めて読んでみて、全体はもちろん、すっとでも強く心に残る終わり方でいいなって思いました*
おつかれさま!
Posted by ななみ at 2011年06月03日 00:10
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