2010年08月27日

With my Camera

写真は、好きですか?



私は写真を撮るのも、見るのも大好きです。
日本人は写真をよくとるといわれます。
大事な一瞬一瞬を残したい!そう思って写真はよくとります。


***

私はこの7月末から一カ月間、ゼミの研修で海外に行っていました。
もちろんみんなカメラを持参しいく先々でたくさんの写真をとっていました。
私もその例外ではなく、たくさんの写真をとっていました。

研修はインドネシアの先生の自宅、そしてバリの農村で行われ、
近所にはたくさんのこどもたちがいました。
それらの地域は決して豊かといえる場所ではありません。

「路地裏」―― そう呼ばれる、すこしこみいった場所に先生の自宅はあります。
どの家もとっても小さく、エアコンやパソコン、冷蔵庫などはもちろんありませんでした。
バリの農村も同じです。
近所にはたくさんのこどもたちがいて、
私たちが写真をとると大喜びで、これでもかという笑顔でレンズを見てくれます。
私たちは子供たちの期待に答えてあげようとたくさんの写真をとりました。

研修後もいろんな国をまわり、
どこに行くにも、カメラを向け写真をとっていました。
私の友達は写真が好きで、特にたくさんとっていました。

しかしある時にふと、私は写真に違和感を感じました。
写真に、というよりも写真をとる行為にといった方が正しいかと思います。

それはフィリピンマニラのとある不法占拠地区へ見学へ行った時のことです。

「こういう雑多な感じというか、整然としていない感じ、好きだなあ」

カンポン(路地裏)の家群は小さかったもののまだ生活感があったのに対して
フィリピンのその地区は本当に人が生活出来るのか?と疑問をもつくらいの汚さでした。

友達はカンポンにいる時と同じ感覚で写真をとっていました。

子供が笑顔でカメラを見ていたときのように。

でも私を写真をとることができませんでした。
胸の中がもやもやしてたまりませんでした。

***


写真は、大きな力を持っています。
言葉よりも訴えるものが多いこともあるのではないかと思います。



東南アジアの国の街並みの写真をみると、なんとなく雑多な感じがしませんか?
友達はそれをみるのが好きだ、と何度も口にしていました。
ノスタルジックな気持ちになるのでしょうか。私も好きです。


路上に住んでいる人たちをみて、
大変そうだとか可哀想だとかの感情が湧いたとして。
それを写真におさめるのは、自分達の生活と‘比較して’可哀想だからという感情があったとしたら。
それをみた記念に写真をとっているとしたら。


昔、日本が台湾統治時代に台湾民族と連れてイギリスへ行き、博覧会で見世物にしたという報道が
されたことがあります。

それが真実であるかどうかが今問われているのでで深く言及は出来ません。


写真をとっている友達をみて、重なるものをすこしだけ感じました。

そう思う自分を恐ろしくさえ感じました。




【文責:木本佳歩】
posted by S.A.L. at 16:45 | Comment(9) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

留学のすすめ

夏がアツいですね!

広報局の康未和です。

みなさん、夏休みをどうお過ごしでしょうか?

夏休みの過ごし方は十人十色

アルバイトをしてお金を稼ぐ
インターンシップをする
サークル活動をする
趣味をつくる
...

みなさん思い思いの夏休みを過ごしているかと思います。


私はというと、長期の休みの期間には、大体海外に出掛けることが多いです。
それは、手っ取り早く自分を普段の日々と違う環境におくことで、素敵な出会いや貴重な体験をする事ができる!
とそう思うからです。

私は、夏休みの前半の一ヶ月間を、言語学習を兼ねて韓国と中国で過ごしてきました。


そこで2週間語学学習をかねて滞在したのが、ハルピン!


みなさんも、一度ぐらいは聞き覚えがあるのではないでしょうか?


そう、ハルピンはかつての初代内閣総理大臣伊藤博文が朝鮮独立家の安重根に暗殺された場所として有名な場所です。


そのハルピンは、中国の東北地方のロシアとの国境沿いに程近いところに位置し、またよくも悪くも過去の歴史的な経緯もあって、町の所々でロシアの町並みの面影が見られる素敵なところです。冬はマイナス30度まで下がる極寒地帯なのですが、夏は涼しく青空が広がる比較的過ごしやすい気候で、是非おすすめしたい一つの場所です。
IMG_4162.jpg



私は、ハルピンにいる間、哈尔滨工業大学(中国の重点大学の一つ)の付属の語学学校で、二週間中国語の講習を受けました。


そこの留学生の寄宿舎に住まっていたので、在籍中の留学生と交流する機会も多く良い環境でした。(私はロシア人の3人と同じ部屋だった!)
そこの留学生はロシアと韓国からが大半を占めていましたが、そこで現役日本人留学生にも出会いました。


彼らとの出会いはかなり新鮮でした。


彼らのほとんどは20代前後の同世代。


同じ日本文化を共有する

自分とほとんど変わりないその彼らが


日本を離れ他国に身をおいている。


たのさそうにしている姿の裏に覚悟と熱意がかいまみれました。


こんな人生の楽しみ方もあるのかと
一つのライフスタイルをどんっと提示された気がしました。


内向き世代。
毎年日本における海外への留学者数は減っていると言われている。

グローバルな時代。
インド、中国、韓国からの留学生数が年々急激な増加を見せる一方で、日本人留学生は1999年をさかいに激減傾向にある。ここ9年間でその数は27%も減少し、去年と比べて今年がー4%も落ち込んでいるそうだ。

この統計は、少子化や経済的な理由だけでは説明しきれないといい、その傾向は日本人の海外に対する関心の低下の表れと言われている。

こんな状況、こんな時代

だからこそ、もっと同世代がお互いの価値感を共有し、

刺激し合い、高め合っていきたい

それは、同世代同士だからこそ共有できること、だと思う。



私と一緒にTake actionしませんか?!



中国ハルピンの日本人留学たちと
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posted by S.A.L. at 01:44 | Comment(10) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

Woman Are Heroes

先日、恵比須の東京都写真美術館で開催された世界報道写真展2010に行ってきました。


自爆テロの犠牲になったアフガニスタンの若い女性
餓えに苦しみ象を食べるジンバブエの人々
麻薬をめぐる抗争に巻き込まれた若者の死体
ホームレスたちの寝具でいっぱいになったパリの町並み
イラク戦争で精神的に病んでしまったアメリカ兵士たち
イタリアのローマ郊外に並ぶ貧民街


すべてここに書ききることはできませんが
「今」を象徴するような、衝撃的な写真が並んでいました。


目を覆いたくなるような厳しい現実を写した作品が多かったのですが、
他のものとは雰囲気が違う一つの写真に出会いました。


『Woman Are Heroes』

jrkenyaa2.jpg


ケニア・ナイロビ郊外のキベラスラムを、地元女性の目で飾られた列車が走り抜ける様子です。

これは、フランスのアーティストJRが手がけた『Woman Are Heroes』というプロジェクトなのだそうです。
写真では列車だけですが、彼のHPを見てみるとスラム街の屋根にも女性の写真が貼られていました。



キベラスラムでの女性の地位向上を目指し、日本も教育などの支援を行っていますが、
それでも「男尊女卑」という考え方は未だに存在しています。

そんな現実のなかで、女性を主役に街を彩るという大胆な発想は
私にとってかなり刺激的で、わくわくして、簡単には忘れることができませんでした。



写真展から帰った私は、この『Woman Are Heroes』プロジェクトに対するキベラスラムの人々の反応が気になり、
インターネットで検索をしてみました。

すると、列車に向かって歓声をあげる、男性を含んだ多くの人たちの動画が出てきたのです。


とてもびっくりしてしまいました。
彼らはただ単純にアートを楽しんで、私と同じように「わくわく」しているようでした。



この様子を見て、国際協力について考える際に「わくわく」の要素は大切だということを強く感じました。



以前、5月のS.A.L.の合宿でわくわくするようなプロジェクトを考えたことがあります。
当時は「真面目」なイメージの国際協力と「わくわく」を結びつけることができませんでしたが、今ならわかる気がします。


お金だとか、モノだけじゃなくて、心を潤すような支援。
支援する側もされる側も一緒になって「わくわく」できるような、上下関係のない支援。


あまり現実味のないことかもしれませんが、

「そういうことをしてみたいな」

と、この『Woman Are Heroes』プロジェクトを見て純粋に考えました。


*JRのHPです。
 フランス語のページですが、作品などを見る事ができるので、参考にしてみてください^^
 http://www.jr-art.net/

【広報局1年 飯野僚子】
posted by S.A.L. at 00:48 | Comment(9) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

日本ってどんなとこ?

皆さんこんにちは。
二年生の、山本峰華(みか)といいます。
よろしくお願いします。





「日本ってどんなとこ?」

そう聞かれて、あなたはどう答えますか?

私は、答えられませんでした。

私は、カンボジアやインドにその国のことを知りたくて行きました。
でも、いつも旅の最後に思うことは、

「まずは日本のことを知らなきゃ」

でした。

多分、海外に行ったことのある人は、皆が思うことだと思います。


そこで、今回の私の夏のテーマ第一弾は、「日本を知る」です。


では、何をしよう。
ただ観光地などを学ぶことは「日本を知る」ことではない。
そんなときに、思ったのが、カンボジアでインドでも、その国のことを知ることが出来たのは、まずは「人」からだったこと。

そこで、日本でまずは人を学ぼうと思いました。

そして、人のことを考えようと思い、行ったのが、小布施町です。

昨日まで小布施町という場所で、インターンをしていました。
小布施町とは、長野県にある小さな町ですが、町づくりを積極的に考えています。
この町は、町人が中心となって町づくりをやっています。
そんな町に、行ってきました。



一週間しかいることができなかったので、ほんの一部分だけかもしれませんが、「人」を感じることが出来ました。

これが「日本」かはわかりません。
でも、私にとって、大きなものになりました。


ここで感じたのは、「温かさ」です。

こんなの、行かなくても皆が考えられるもの、そう思う人もいるでしょう。


でも、都会に住んでいて忘れかけていた「温かさ」を感じることが出来ました。
「温かさ」ということばで表せているかはわかりませんが、とにかく、温かかったんです。

小布施の皆さんは、町が大好きです。
そして、町に誇りを持っています。
そして、皆がその思いを持っているため、繋がりがとても強いです。

そしてその繋がりから、温かさが染みでています。


なんでこんなふうにあいまいに書くのかというと、感じないとわからないことだと思うからです。

皆さんにも、ぜひ感じてほしい、と思います。

そして私自身も、もっと感じたいと思っています。



S.A.L.は、国際協力をするサークルです。
私は、国際協力を学ぶからこそ、自分の国、日本についても学ぶべきだと思います。


夏休みはまだまだ続きます。
皆さんも、また違う視点から、考えてみてはいかがでしょうか。
posted by S.A.L. at 23:16 | Comment(12) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

普通ってなんだ?

私たちはふだん靴を脱いで家に上がる。
特に意識もせず、いたって普通に靴を脱いでいるだろう。
しかし、アメリカをはじめアジア以外の多くの国々では土足で家に入ることが普通なのだ。
そこで私はふと思う。

「普通」ってなんだ?

このあやふやさを持つ「普通」という概念をひも解くために、今日は国際問題として注目を浴びつつある「ブルカ論争」について考えてみたいと思う。



まず、ブルカとは何か。
ブルカとはイスラーム信徒の女性が着用する、顔を含めた全身を布で覆う極めて露出度の低い衣装を指す。下の写真がブルカだ。

burqa.jpg
(2010年1月26日 共同通信『仏下院委、ブルカ禁止勧告 イスラム諸国から反発も』より転載)

「肌を夫以外の男性に見せることは好ましくない」とするイスラームの宗教上の理由から、イスラーム圏では女性がこのような露出度の低い衣装を着用している。

このブルカのほかにもニカブという目のみが露出する衣装や、チャドルという顔全体を露出する衣装などその形態もさまざまだ。
中東やイスラームと聞いて、なんとなくベールをまとう女性のイメージを思い描く人も多いだろう。

そして、ブルカ論争とは欧州内に住むイスラーム女性がこの「ブルカ」を着用することを法的に規制する流れと、規制について反対する人々(主にイスラーム信徒)の間で起こっている論争を指す。


私はこの論争の中に両者の「普通」のぶつかり合いがあるのではないか、と思っている。



欧州の人々にとって、半そでを着たりスカートをはいたりすることはいたって普通のことである。会話をするときは相手の目を見て、表情を汲みとりながら話すだろう。

しかし、彼らにとってブルカなどのベールを着たイスラーム女性は「普通」とは異なった、独自の文化や信教を持つ人々である。政教分離の考えを持つ欧州の人々にとって、このブルカは極めて宗教色の強い衣装として映るようだ。

あるフランスの議員の男性は「こちらが顔を見せてコミュニケーションをとりたいのに、ベールで顔を見せないのは卑怯であり、暴力的だ」と話している。

このように、欧州の人々の多くが「普通」と感じる衣装、コミュニケーション方法、信条にそぐわないもの、それがブルカなのだ。


しかし、一方でイスラームの人々はどうだろう。
古くからイスラームの女性観に従ってきた彼ら・彼女らにとっては、むしろブルカなどのベールを着用することは女性の尊厳や威厳を守るために必要不可欠なものである。

外出時にブルカを着る。それはイスラーム女性にとっての「普通」なのだ。女性が極力肌を見せないこと、イスラームの教えに従うことも同様である。



このように両者の持つ「普通」の基準が異なっているからこそ、ブルカ論争は問題化した。現在もフランス、スペイン、ベルギーなどの国々では「ブルカ禁止法」の制定が進んでいる。

私は、この問題は決して「普通のぶつかりあい」のみで片づけることはできないと思う。
しかし同時に、国際問題や異文化間での衝突といった問題の着地するところはこの「普通」という考え方・基準のぶつかり合いだとも感じている。

「普通」はぶつかり合う。だからこそ、相手のいう「普通」を理解する姿勢を忘れてはならない。それがこの問題、そして国際問題の本質ではないだろうか。

今回のブルカ論争において、本当に相手の「普通」を理解した上で答えを出せたならば、その答えは規制でないと私は思う。

この文章を読んだあなたにも、改めてイスラームの「普通」を知ってほしい。そしてそのうえで欧州の考える「普通」を見直してほしいと思う。
二元論ではなく、本当の意味での問題理解のために。
(文責:赤津ともみ)

【資料】
『イスラーム世界の女性たち』
白須 英子著 文春新書


AFP通信「ブルカ」検索結果
http://keywalker.afpbb.com/headline/search?q=%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AB&type=text&sort=date
posted by S.A.L. at 01:44 | Comment(10) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

幸福について



はじめまして、広報1年の山田茜です。
ブログ初投稿になります、よろしくお願いします。



あなたにとって幸せってなんですか?
という問いには、十人十色の答えが返ってくるでしょう。

あなたは幸せですか?
という問いには何人の人が「はい」と答えるのでしょうか。



先月の14日、米紙フォーブスが、アメリカの調査機関ギャラップが発表した「世界で最も幸せな国」のランキングを掲載していました。


こちらが世界155カ国・地域を対象に行ったランキングのページです。
http://www.forbes.com/2010/07/14/world-happiest-countries-lifestyle-realestate-gallup-table.html



上位1位から4位は全て北欧の、
デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン。
これらの国は、国民の基本的ニーズが満たされ、
また手厚い社会保障などで、心理的な幸福感が強いのだそうです。


このランキングを見るときに一つ気がついた事。


みなさんは、このランキングの一覧表、最後まで見ていますか?
私は正直、見ていませんでした。
日本が何位であるか探し、見つけ、
「あ〜81位。こんなに低いんだ」と思い、なんとなく納得して、ページを閉じていました。


でも大切なのは、日本より上の国を見上げて、羨ましがるのではなく、
日本より幸福度が下と示されている国に、思いを馳せることでもあるはずです。





「何かを得た、あ、幸せ。
でもなにか物足りない、あ、あれだ!
あれを得なければ幸せではない。あれが欲しい。」

私達の生活はこの繰り返しといえます。
今以上の幸福を見てしまいがちです。

心の欲求のために、生活をそのレベルまで適応させようとする。



私達より生活水準の低い、途上国の人たちは、
その逆の考えを持っているのではないでしょうか。

もしかすると、彼らは、もう十分幸せなんだろう、
と感じているかもしれない。

彼らは、生活に心を、順応、適応させている。

これでいいのでしょうか。


私達は夏の暑さに苦しみ、「死にそう、水が飲みたい」
なんて簡単に口にしてしまう。
私達はすごく辛いことのように感じますが、
途上国の、飢餓に苦しむ人たちとって、そんなことはもはや不幸ではなく、日常。
逆にいえば、私達は簡単に冷たい水を手にすることが出来る。
私達はそれが当たり前だと思いますが、
彼らにとってはそれが大きな幸福。



「日常のすべてに感謝を」とか、
そういう大げさなことではなくてもいいから、
もう一度「変わらない幸せってなんだろう?本当の幸せって何?」
という部分から考えていかないと、と改めて感じました。

私達S.A.L.が日々活動することで、同じ幸福を共有できたら、
「あなたがまだ知らない幸福がいっぱいあるのだ」ということを教えられたら、またたくさんの人たちから教えてもらえたら
それは本当に素敵なことだと思います。
そしてその幸せの共有が「一瞬」で終わらないように、
消えないように願い、活動し続けようと思います。

posted by S.A.L. at 14:24 | Comment(11) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

熟考か、決断か

8月に入りましたね。暑いです。
現在SALでは、9月のカンボジア・インドスタディツアーに向けてぼちぼち会議を重ねているところです。

会議では、具体的にスタツアで何をやるのか、といったことについて話し合っていますが、こうした議題は意外と厄介です。
一般論ですが、「何をするのが正しいのか」というのは相対的なもので、どれも一概には言えません。
さらに現実問題として、学生ができることも限られています。

「何をするべきか」よりも、「何が自分たちにできるか」のほうが優先になってしまうと、ちょっと本末転倒かなという気もします。
かといって、それを考えすぎてしまって何もできなくなるというのも、それはそれで本末転倒な気もしますね。


最近、そんな厄介な思考ループを解決するヒントになりそうな本を読んだので、ちょっと紹介してみます。

川喜田二郎『発想法 創造性開発のために』(中公新書、1967年)という本です。

名前だけ見ると胡散臭いハウツー本ぽいですが(笑)、「KJ法」という有名な社会科学・フィールドワークの方法論を提唱している、知る人ぞ知る「古典」のような著作です。
故川喜田二郎氏は、地理学・文化人類学の研究者で、東工大の名誉教授でもある、フィールドワークのスペシャリストです。当然、本の内容も、新書でありながら非常にしっかりしたものです。

この本で書かれているのは主に、フィールドワークにおける情報整理や、研究進行の方法論です。
ただ、すべてに触れる余裕はないので、ここでは簡単に、川喜田が提唱した「野外科学」という概念と、それを踏まえた上での研究に関する考え方をまとめたいと思います。

・科学を「書斎科学(座学)」「実験科学」という従来の二分法ではなく、そこに「野外科学」を加えた3種で分類することを提唱する

・「実験科学」とは、実験室で再現されるような、現実世界から抽出された「純粋な自然」を研究する科学であり、主に化学や物理、経済理論などが当てはまる

・「野外科学」は、ありのままの現実世界を対象に研究を行う科学を指し、地理学、文化人類学、生物学、一部の社会学などがこれにあたる

・従来の分類では、座学と実験という二つの分類しか無く、そのことは、フィールドワークの具体的な方法論が発展する上での妨げになっている

・研究には、先程あげた3つの科学の全てが必要であり、仮説を「発想」する段階では、まず野外科学による観察や探検が必要になる


以上が、本書の1章の簡単なまとめです。
「野外科学」という分類を新たに導入することで、より自覚的にフィールドワークの方法論を積み上げていこう、という提案ですね。
現実世界は単なる理論の応用の場ではなく、それ自体に別の方法論が必要なほど複雑で異質だということの再確認でもあります。
さらに一文にまとめるとしたら、野外科学は問題発見(仮説発想)の方法であり、研究全体は問題解決策の提示である、ということになります。


さて、では問題発見と問題解決、SALのスタツアの目的はどちらでしょうか。

長期的、あるいは現実的に見たときに、フィールドワークによる問題発見は重要です。
一方、今ある問題を、今出来る限り解決しようとすることも重要です。
カンボジア・インドに行くという貴重な機会を、どのように使っていくのが正しいのでしょうか。

これは、先程のジレンマの問題に帰ってきます。
たぶん、「迷う」ことも「決断する(行動を起こす)」ことも、両方必要なことです。
「より良く迷う」というと言い方は変ですが、決断を保留しつつ、より選択肢を増やしたり情報を集めたりする努力は、必ずしも悪いことではないと思います。
良くないのは「迷ってばかりで決断できない」ことと、「迷わずに決断する」ことですね。

SALの良いところは、そういう意味で多様な考え方の人がいるところだと思います。
今できることを最大限やろうとする行動力のある人や、
まず何が問題かを徹底的に考えたあとに、自分たちがやるべきことを考えようとする慎重な人、
どちらも組織には必要だと思います。

ちなみに僕はどちらかといえば後者で、実際に現地を見て考える機会が欲しいと思いSALに入りました。(慎重かどうかは微妙なところですが。笑)

幸い、SALは人数が多いので、スタツアでもいくつかのチームにわかれてプロジェクトを行うことができます。
なので、もし分担という形にすれば、先程のジレンマもサクっと解決できるかもしれません。
一つくらいは、問題発見や調査ベースのプロジェクトもあっていいのかなーとも思います。

ただ、サクっと解決できればそれでいい、というわけでもなく…。
やはり個人レベルでは、常にジレンマを抱えているほうがいいのかもしれません。
何かを判断するとき、決断するときにも常に無知への自戒を持つこと、
あるいは、考えすぎてしまうときには、自分の選択肢の中での最善を無理やり選ぶこと、
そういうバランス感覚を身につけていけたらなと思います。

(広報局 松本)

※『発想法』は実践的に役に立つ本なので、ぜひ読んでみてください。
特に論文やレポートの課題がでてる人にはおすすめです。KJ法便利ですよ!笑
posted by S.A.L. at 15:13 | Comment(9) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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