聖書に名を記したこの国に
延々と続く大きな壁ができたのはつい最近のことだ。
壁があることで一方はテロの恐怖から解放され、
一方は更なる絶望に追いやられている。
僕はいまイスラエルという国にいてドキュメンタリーを撮っている。
相当な覚悟をして撮影に臨んでいるけれども、
それでも、ここで起こる事実や人々の感情は僕の覚悟なんて簡単に突き破ってしまう。
パレスチナ自治区では四日前に弟を殺されたという青年にカメラを向けた。
彼が必死にその事実を伝えようとしてくれているとき、
僕は耳を塞いでしまいたかった。
「彼らはなんでこんなつらいことを僕に話してくれるのだろう。」
「僕はなんでこんなつらいことを話させてしまっているのだろう。」
この疑問が浮かんで以来ずっと僕の頭の中をグルグルとまわって、未だにまとまった答えが出せていない。
でも、僕はまとまっていない頭でビデオカメラを構え続けている。
誰かがぽつりと言ったこの言葉に動かされているのだと思う。
『私たちは本当に平和が欲しい、でも彼らは僕らの方に向き合いもしない。』
彼らは向き合おうとしても、国境にはその想いを塞ぐように大きな壁がある。
壁ができてからお互いの姿を見ることも声を聞くことも無くなった。
今やお互い壁の向こう側は現実には見ることが出来ないイメージの世界となってしまった。
彼らは互いに相手に対するイメージを膨らませていき、やがてそのイメージは恐ろしいモンスターへと変貌を遂げる。
相手をモンスターと認識すればもう何だって出来る。
民間人への爆撃だって自爆テロだって簡単に出来てしまう。
このイメージを自力で変えることは難しい。
だから僕はお互いの声を向こう側へ届けたい。
僕に関わった人の声・想い・感情をすべて。壁を越えて。
伝えたい。
そしてイメージを打ち壊したい。
そのために僕はビデオカメラを構えているんだ。
Israel Documentary Project 白川紘樹



